山口百恵の伝説の引退コンサート!セットリストと曲の解説まとめ!

マイクアイドル

1980年(昭和55年)10月5日に、日本武道館で伝説のアイドルと呼ばれた山口百恵の引退コンサートが開催されました。

 

俳優の三浦友和と結婚することになり、アイドルや歌手どころか芸能界そのものを引退というニュースは、当時の日本全国にとても大きな衝撃を与えました

 

1973年の14歳の年齢でデビューしてから8年目、まだ21歳という若い年齢での惜しまれつつの引退だったんです。

日本武道館で開催されたラストコンサートは、「伝説の引退コンサート」と呼ばれています

 

山口百恵の引退コンサートでの姿を、いまだに鮮明に覚えているファンの人はきっと多いはずです。

引退後40周年には、NHKでコンサートの映像が放送されて大きな反響を呼んだほどです。

 

山口百恵の引退コンサートについて、セットリストや歌った曲について詳細をまとめます。

 

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山口百恵のラストコンサートは21歳という若い年齢だった

山口百恵のプロフィールはこちら

  • 本名:三浦 百惠(みうら ももえ、旧姓:山口)
  • 生年月日:1959年1月17日(芸能界引退時の年齢:21歳)
  • 出生地:東京都渋谷区恵比寿
  • 出身地:神奈川県横須賀市
  • 血液型:A型

1972年12月に、有名なオーディション番組「スター誕生!」で準優勝したことが芸能界デビューのきっかけです

翌年の1973年4月に、14歳で「としごろ」の曲でデビューしました。

 

森昌子と桜田淳子との3人で「花の中三トリオ」と呼ばれ、「百恵ちゃん」の愛称でものすごい人気を誇っていましたね

 

 

そして、引退までに31曲のシングル曲(引退後に2枚)やアルバムをリリースし、1980年に自ら芸能界引退しました。

当時はまだ21歳という若い年齢で、まだまだこれからも活躍が期待されていたときの潔すぎるほどの幕引きでした

 

引退前のラストコンサートは10月5日に日本武道館で開催されたんですが、実はファイナルコンサートは札幌・福岡・大阪・名古屋と各地で連日開催していたんです。

その最後のステージが、東京の日本武道館での開催だったんですよ。

 

日本武道館での引退コンサートの収録DVDの詳細はこちら↓↓↓

山口百恵のラストコンサートの曲順まとめ!セトリと解説付き!

 

山口百恵のさよならコンサート「伝説から神話へ 日本武道館さよならコンサート・ライブ」で歌われた曲と曲順の一覧はこちら。

山口百恵ラストコンサート曲順

  1. Overture
  2. This is my trial
  3. 横須賀サンセット・サンライズ
  4. I CAME FROM 横須賀
  5. プレイバック Part1
  6. プレイバック Part2
  7. 絶体絶命
  8. イミテイション・ゴールド
  9. 愛の嵐
  10. 夢先案内人
  11. 謝肉祭
  12. 横須賀ストーリー
  13. 「スター誕生」AGAIN
  14. ひと夏の経験
  15. 禁じられた遊び
  16. 冬の色
  17. 湖の決心
  18. 春風のいたずら
  19. 青い果実
  20. としごろ
  21. ロックンロール・ウィドウ
  22. いい日旅立ち
  23. 一恵
  24. 曼珠沙華
  25. 秋桜
  26. イントロダクション・春
  27. 不死鳥伝説
  28. 歌い継がれていく歌のように
  29. さよならの向こう側
  30. This is my trial(instrumental)

 

This is my trial

「This is my trial(私の試練)」は、山口百恵の22枚目のスタジオ・アルバムのタイトル曲になります。

作詞作曲は、谷村新司です。

 

引退コンサートの直後の1980年10月21日にCBSソニーから発売されたアルバムです。

セットリストの最初の曲が、いきなりアルバム曲からだったんですね。

 

横須賀サンセット・サンライズ

「横須賀サンセット・サンライズ」は、作詞が阿木燿子、作曲が宇崎竜童の王道コンビによる曲です。

アルバム「曼珠沙華」に収録されている曲になります。

 

山口百恵は、「横須賀ストーリー」だけでなく、出身地の神奈川県横須賀市を歌った歌をいくつも歌っているんです。

 

I CAME FROM 横須賀

「I CAME FROM 横須賀」は、1977年5月21日に発売された11枚目のアルバム「百恵白書」に収録されている曲です。

 

さよならコンサートで、いきなりアルバム曲を立て続けに歌うというセトリだったんですね。

 

プレイバック Part1

「プレイバック Part1」は、1978年6月発売のベストアルバム「THE BEST プレイバック」に収録されている曲です。

作詞は阿木燿子ですが、作曲は馬飼野康二になります。

 

宇崎竜童作曲の「Part2」がシングル曲として採用されてあまりにも有名ですが、こちらも名曲ですよ。

 

プレイバック Part2

「プレイバック Part2」は、1978年5月1日に発売された22枚目のシングル曲になります。

作詞が阿木燿子で作曲が宇崎竜童です。

 

この曲は、山口百恵の曲の中でもとても知名度が高くて有名な曲ですね。

代表曲と言える1つでしょう。

 

絶体絶命

「絶体絶命」は、1978年8月21日に発売された23枚目のシングル曲です。

「プレイバック Part2」の次にリリースされた曲ですね。

 

仁藤優子、デーモン小暮閣下などがカバーしているほか、作曲者の宇崎竜童自身もセルフカバーしている名曲です。

 

イミテイション・ゴールド

「イミテイション・ゴールド」は、1977年7月1日発売の18枚目シングル曲です。

 

1977年の大晦日に「第28回NHK紅白歌合戦」で歌われています。

長男の三浦祐太朗がカバーしていることでも知られていますね。

 

愛の嵐

「愛の嵐」は、1979年6月1日に発売された26枚目のシングル曲になります。

 

女の嫉妬をテーマにした楽曲で、トヨタ自動車の「ターセル」「コルサ」のCMソングに使われていました。

山口百恵本人が出演していたCMでもあるので、覚えている人も多いんじゃないでしょうか。

 

夢先案内人

「夢先案内人」は、1977年4月1日発売の17枚目のシングル曲です。

 

オリコン1位を獲得した曲で、中森明菜が「スター誕生!」の本選挑戦で合格したときや決勝大会で歌ったという、のちのアイドルにも大きな影響を与えた曲になります。

 

謝肉祭

「謝肉祭」は、引退コンサートが開かれた年の1980年3月21日に発売された29枚目のシングル曲です。

この曲が発売される直前の3月7日に三浦友和との婚約が正式に発表されて、引退することが明らかになりました。

 

横須賀ストーリー

「横須賀ストーリー」は、1976年6月21日に発売された13枚目のシングル曲です。

阿木燿子と宇崎竜童の夫婦コンビによる初の曲で、大ヒットとなった代表曲の1つとなります。

 

実は、当時10代だった山口百恵が自ら頼み込んで、阿木燿子と宇崎竜童に楽曲提供を懇願したエピソードから生まれた名曲です。

今の時代の音楽業界では当たり前と言える、「活躍中の有名アーティストによる楽曲提供」の元祖と言えます。

 

山口百恵が、アーティストによる楽曲提供を最初に受けた人と言えるのかもしれません。

 

有名アーティストによる楽曲提供の元祖と言える曲だけあって、オリコン集計では66万枚を売り上げた山口百恵の最大のヒット曲になりました。

オリコン1位獲得のほか、1976年の「第27回NHK紅白歌合戦」での紅組のトップバッターで歌われてた名曲です。

 

「スター誕生」AGAIN

「スター誕生」AGAINは、山口百恵の11枚目のスタジオ・アルバム「百恵白書」や、4枚目のライブ・アルバム「百恵ちゃんまつり’78」に収録された曲です。

 

歌手デビューのきっかけとなったオーディション番組「スター誕生」は、山口百恵にとってとても重要な要素であったことは、この曲の存在からもよくわかりますね。

 

ひと夏の経験

「ひと夏の経験」は、1974年6月1日に発売の5枚目のシングル曲です。

千家和也が作詞、都倉俊一が作曲になります。

 

「第25回NHK紅白歌合戦」にて、紅白初出場を果たした曲でもあります。

 

なんといっても、この曲の歌詞の内容は本当に衝撃的です。

歌い出しが、いきなり「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」ですからね。

 

この曲を歌ったのが、当時15歳の少女というのが本当にビックリですよね。

今の時代だったら、この曲を10代のアイドルが歌うなんて絶対に無理でしょう。

 

禁じられた遊び

「禁じられた遊び」は、1973年11月21日発売の3枚目のシングル曲です。

 

この曲はタイトルはもちろん歌詞も、「ひと夏の経験」と同じようになかなかの内容と思います。

異性に対する少女の気持ちを赤裸々に歌っているような印象です。

 

冬の色

「冬の色」は、1974年12月10日発売の7枚目のシングルです。

 

この曲が、山口百恵がオリコン1位となった初めてのシングル曲で、53万枚を売り上げた大ヒット曲です。

15歳11ヶ月でのオリコン1位は、当時の女性ソロ最年少記録になります。

 

B面の「伊豆の踊子」は、のちの夫となる三浦友和と初共演した映画「伊豆の踊子」の主題歌でした。

 

湖の決心

「湖の決心」は、1975年3月21日に発売の8枚目のシングル曲です。

 

シングルでは初めてセリフがイントロ部に入っている曲で、「運命を信じますか」のセリフも印象的な曲になります。

 

春風のいたずら

「春風のいたずら」は、1974年3月1日発売の4枚目のシングル曲です。

 

次の「ひと夏の経験」のレコードが40万枚以上の売り上げで一気に知名度を上げましたが、この「春風のいたずら」まではまだ20万枚以下の売り上げでした。

ちなみに、レコードのジャケット写真はこの「春風のいたずら」から篠山紀信が担当しています。

 

青い果実

「青い果実」は、1973年9月1日発売の2枚目のシングル曲です。

2枚目ながらオリコン最高9位を獲得しています。

 

「あなたが望むなら私何をされてもいいわ」という歌い出しが波紋を呼び、のちの「ひと夏の経験」などの曲の歌詞につながっていきます。

 

としごろ

「としごろ」は、1973年5月21日発売の山口百恵の記念すべきデビュー曲です。

キャッチフレーズは「大きなソニー、大きな新人。」でした。

 

デビュー曲ということもあり、オリコン最高順位が37位と山口百恵のシングル曲では最も低い順位ではありますが、知名度は高い曲です。

 

ロックンロール・ウィドウ

「ロックンロール・ウィドウ」は、引退間近の1980年5月21日発売の30枚目のシングル曲になります。

 

「ザ・ベストテン」で1位を獲得したものの、引退記念映画「古都」の撮影と重なっていた時期で、全て中継で歌いスタジオ入りは一度もなかったというエピソードがあります。

当時の、山口百恵の人気絶頂期を物語るエピソードですね。

 

いい日旅立ち

「いい日旅立ち」は、1978年11月21日発売の24枚目のシングル曲です。

この曲は、「山口百恵で最も有名な曲」と言っても過言ではないんじゃないでしょうか。

 

谷村新司の作詞作曲で、谷村自身も歌っているので、とても有名ですね。

2007年には「日本の歌百選」にも選ばれたほどです。

 

当時は、国鉄(現在のJR)の旅行誘致キャンペーンソングに使われたことで、一気に知名度も上がりました。

 

一恵

「一恵」は、三浦友和との結婚式の当日の1980年11月19日にリリースされた32枚目のシングル曲です。

引退コンサートの時はまだ発売されていませんでしたが、引退前の9月22日放送のフジテレビ「夜のヒットスタジオ」で初公開されていました。

 

引退後に発売されたレコードは、オリコン最高2位を獲得して20万枚状の売り上げとなっています。

 

曼珠沙華

「曼珠沙華」は、1978年12月21日にCBSソニーからリリースされた16枚目のスタジオ・アルバム「曼珠沙華」のタイトル曲です。

 

読み方は、「マンジュシャゲ」ではなく「マンジューシャカ」となります。

歌詞でも「マンジューシャカ」と歌われていますね。

 

秋桜(コスモス)

「秋桜(コスモス)」は、1977年10月1日発売の19枚目のシングル曲です。

 

山口百恵の曲で、トップクラスの知名度を誇る代表曲と言っていいでしょう。

第19回日本レコード大賞で歌唱賞を受賞しています。

 

作詞と作曲は、さだまさしです。

 

 

力強くてしっかりした歌声がとても印象的で、山口百恵の良さがすごく引き出されている曲だと思います。

サビでの「こんな小春日和の」からの盛り上がりから落ち着くトーンまでが、聴いていて何とも言えずしびれてしまいます。

 

イントロダクション・春

「イントロダクション・春」は、 1980年3月21日発売の29枚目のシングル「謝肉祭」のB面の曲になります。

 

セトリで「秋桜」の次が「イントロダクション・春」というのは、何か考えがあったんじゃないかと個人的に思ってしまいますね。

 

不死鳥伝説

「不死鳥伝説」は、1980年8月21日に発売された21枚目のスタジオ・アルバムのタイトル曲です。

シングル曲の「さよならの向う側」と同時に発売されています。

 

引退がすでに公表されていたときに発売されていて、「不死鳥伝説」のタイトルはまさにこの当時の山口百恵にピッタリですね。

 

歌い継がれていく歌のように

「歌い継がれていく歌のように」は、1977年に発売されたアルバム「百恵白書」に収録されていた曲です。

 

1977年で、まだ引退なんて考えられなかった時期ですが、引退コンサートで歌われると、何かこのタイトルにジーンと来るものがあります。

「不死鳥伝説」→「歌い継がれていく歌のように」→「さよならの向こう側」という並びの曲順は、まさに引退コンサートならではのセトリでしょう。

 

さよならの向こう側

「さよならの向こう側」は、1980年8月21日 発売の引退コンサート前の最新シングルだったラストソングです。

さよならコンサートの最後に「さよならの向こう側」を歌って終演というのは、本当に素晴らしい演出でしたね。

 

最後の「さよならの向こう側」を白い衣装で歌い終わった後に、マイクをそっとステージに置いて去って行くシーンは、あまりにも有名です。

当時に見ていた人だけではなく、今でも伝説のシーンとして見たことがある人はきっと多いでしょう。

 

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引退後も歌手としての活動が全くないからこその伝説コンサート

 

山口百恵の引退コンサートについてまとめました。

 

人気絶頂を誇ったアイドルの山口百恵ですが、三浦友和との結婚でスッパリ芸能界を引退し、その後も家庭を守る役割に専念しています

引退後も表舞台に出ることはなく、芸能活動は一切していないほどの潔さです。

 

だからこそ、この引退コンサートまでもが伝説とも言われるゆえんなんですね

 

旦那さんの三浦友和、長男の三浦祐太朗、次男の三浦貴大は、現在の芸能界の第一線で活躍中で、妻の山口百恵は芸能界から離れていても伝説として人々の心にあり続けます。

 

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