俳優・コメディアンとして活躍してきた小松政夫(こまつまさお)さんが死去されました。
肝細胞がんで、東京都三鷹市の病院で死亡したということです。
昭和・平成の有名芸能人が令和時代の幕開けの時代にまた1人去ってしまい、本当に悲しい訃報ですね。
小松政夫さんと言えば、「小松の親分さん」と呼ばれるくらい有名コメディアンとして知名度があります。
特に、「電線音頭」「しらけ鳥音頭」「ガッチャマンに負けるな」などのギャグは、今も多くの人の記憶に残っている有名ギャグですね。
亡くなった小松政夫さんのプロフィールや現在までの経歴、そしてギャグなどについてもまとめます。
小松政夫は植木等を師匠に持つ、昭和を代表する名コメディアン!
師走の夕方に
こんな淋しいニュースが…
小松政夫先生が逝った…
ホントに淋しい(合掌)#小松政夫 pic.twitter.com/QjZNzLc1VO— 御KAZ@🍒 (@KAZYBIINKAI) December 11, 2020
小松政夫(こまつまさお)さんのプロフィールはこちら
- 本名:松崎雅臣(まつざきまさおみ)
- ニックネーム:小松の親分さん、親分さん、小松与太八左エ門
- 生年月日:1942年(昭和17年)1月10日(没年齢:78歳)
- 出身地:福岡県福岡市博多区
- 血液型:A型
- 最終学歴(出身高校):福岡県立福岡高等学校定時制課程普通科
- 師匠:植木等
- 出身劇団:RKB放送劇団
1942年の太平洋戦争中の激動の時代に、福岡市で7人兄妹の5番目として生まれました。
幼少期には、自宅前の焼け跡で行われていた露天商の口上をよく見聞きしていたそうです。
その中のサクラを見てしゃべり方などを自然と身に付けたことが、学生時代から現在に至るまでの笑いのセンスにつながっていると言います。
小さい頃の経験って、成人してから役立つことがあったりするんですよね。
高校を卒業後にRKB毎日放送の劇団に所属し、1961年に俳優を目指して横浜へ出て来ました。
そして、アルバイトやコピー機会社勤務を経て、横浜トヨペットのセールスマンとなり、植木等の付き人募集に応募しました。
見事に約600人の応募者の中から選ばれ、付き人兼運転手となって植木やクレージーキャッツのハナ肇などのメンバーの助けもあり芸能界入りを果たしました。
師匠の植木等を、父親のように「オヤジさん」と呼ぶほど絆の強い師弟関係でした。
植木等のほか、東八郎にもかわいがられていました。
芸能界入りした後は、付き人時に出演した日本テレビのバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」でデビューしました。
このとき、番組レギュラーだった松崎真から「小さいほうの松崎」という意味で「小松」と呼ばれるようになって、それが小松政夫の芸名の命名につながったんです。
小松政夫のギャグ一覧!伊東四朗やタモリともコンビでネタをしていた!
みごろ!たべごろ!笑いごろ!
子供の頃本当に…8時だよ全員集合よりも好きな番組だった。
伊東四朗とキャンデーズとの絡みは秀逸で、何も考えずに笑える時間でした。
ありがとうこざいました。
お悔やみ申し上げます。#小松政夫 pic.twitter.com/3eUkamSYf7— 斜男~nanameotoko (@nanameotoko) December 11, 2020
小松政夫と言えば、数多くのヒットギャグを世に送り出した有名コメディアンです。
ここから、小松政夫の有名なギャグ集をまとめます。
なつかしいギャグや、見たことあるというギャグばかりでしょう。
「しらけどり飛んでいく」で知られる「しらけ鳥音頭」
小松政夫と聞いて、まず思いつくのが歌ネタの「しらけどり」という人はきっと多いでしょう。
1970年代にNET系列局(現在のテレビ朝日)で放送されていたバラエティー番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」のコント内で披露したギャグの歌です。
小松政夫の代表作品と言っていいですね。
「しらけ鳥 飛んでゆく 南の空へ みじめ みじめ」の歌詞は、今でも多くの人々の心に残っています。
「電線音頭」では伊東四朗の「ベンジャミン伊東」やキャンディーズと共演
「しらけ鳥音頭」のほかに有名な歌ネタが「デンセンマン電線音頭」です。
バラエティー番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で披露した歌ネタです。
伊東四朗が扮するキャラクター「ベンジャミン伊東」とのコンビの姿がとても印象的ですね。
正式なお笑いコンビではないものの、2人のコンビはとても有名です。
大人気アイドルのキャンディーズのメンバー3人も、番組での共演者でした。
電線音頭の動画はこちら。
こたつの上に乗って歌うパフォーマンスは、当時は苦情が出るなど問題になったりもあったようですが、これも昭和の時代を感じさせます。
ギャグ第1号は「知らない!知らない!知らない!もー!」
「しらけ鳥音頭」や「電線音頭」のイメージが強い小松政夫ですが、「知らない知らない」が第1号ギャグになります。
オカマっぽく体をクネクネさせながら言うギャグですね。
セールスマン時代の厳つい上司の会話から生まれたギャグだそうです。
「ガッチャマンに負けるな」や「小松の親分さん」のギャグも有名
「みごろ!食べごろ!笑いごろ!」のほか「笑って!笑って!60分」では「小松の親分さん」、「悪ガキ一家の鬼かあちゃん」など数々の名コントを演じました。
「ニンドスハッカッカ!マー!ヒジリキホッキョッキョ!ガッチャマンに負けるな、負けるなガッチャマン!」のフレーズのギャグも有名です。
このギャグは、平成時代の1990年代になっても知名度がかなりあったようです。
芸人時代のタモリとコンビでコントをやっていた相方だった!
小松政夫はタモリとコンビでコントをしていた時代がありました。
今でこそ番組司会者としてのイメージしかないタモリですが、もともとはピン芸人であり、昔はたくさんのネタやコントをしていました。
その中で、小松政夫とともにネタもしていたんです。
タモリとの貴重なコント動画はこちら
タモリが現在の司会者としての地位を持っているのは、小松政夫のおかげもあるのかもしれません。
「ハケンの品格」など現在まで数多くのドラマや映画にも出演!
そや、こないだから2週間お試しのhuluでハケンの品格観てるんやけど(今7話まで観た)、それに大泉洋と小松政夫さん出てるねんな、だから昨日は結構テンション上がった\\\\٩( ‘ω’ )و ////
わたしの中ではタイムリーだった。 pic.twitter.com/HwTZFqh9br
— \みほちん/ (@ra__yui___) October 29, 2014
小松政夫は、コメディアンだけでなく俳優としての活動も現在までにたくさんしてきました。
視聴者の中には、100%俳優さんだと思っていてコメディアンだと知らなかった人もいるかもしれませんね。
もともとは俳優志望だったこともあり、今までに数多くのテレビドラマや映画、舞台の作品に出演しています。
有名作品では、「ハケンの品格」などの現代ドラマから「水戸黄門」などの時代劇まで幅広く出演してきました。
俳優としてもコメディアンとしても一流の芸能人だった!
#小松政夫 さんが亡くなった。「川波」の板前は4人全員いなくなってしまった。添付した写真で元気なのは丘みつ子さんだけだ。寂しい。悲しい。
小松さんはイッセー尾形さんとの共演も良かったし、植木等さんとの師弟関係にも泣かされた。ありがとうございました。合掌。#前略おふくろ様#萩原健一 pic.twitter.com/JbDDDlPjmx— 泪橋プロダクション (@namidabashipro) December 11, 2020
死亡した俳優・コメディアンの小松政夫さんについてまとめました。
昭和・平成の時代を代表する芸能人の1人であり、コメディアンとしても俳優としても一流の人でした。
これだけの高い才能の持ち主が、また1人いなくなってしまったことは、本当にさびしいことです。
今後も、小松さんの名シーンはギャグでも演技でも後世に残っていくでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。